もりおの小確幸

旅について読むと悩みがどうでもよくなるブログを書きます

フィリピン セブ島 コロンストリートのお母さん

出会い編 セブのストリート

 

2019年2月16日 土曜日

ここはフィリピン セブ島

 

セブ島といっても、

みんなが思い浮かべるような、

 

綺麗なビーチと海でもない

美しい緑と壮大な自然でもない

近代的なショッピングモールでも

おしゃれなレストランでもない。

 

 

そう、

 

灼熱の太陽に

道はガタガタ

家はボロボロ

生ゴミの悪臭に

 

どこを歩いても足首に

ペチペチあたるほどのハエ

が飛び交う場所。

 

コロンストリートという

スラム街に来ていた。

 

 

ここは、

セブ島の中で

”物価が一番安い”と言われていて、

日本人には人気の買い物スポット。

 

 

パチモン(偽物)の

アディダスのスニーカーが

たったの500円で買えてしまうほど。

 

 

実は、盗難が多くて

「気がついたら財布がない!」

「携帯を使ってたら急に後ろから

 手が出てきて盗まれる」

 

と言われる、危険地帯。

治安が最悪の地域。

 

 

留学先の学校の先生にも

「行かないほうがいい」と

止められていたほど。

 

 

 

 

この街で、

今でも忘れらない出会いがあった。

 

 

 

その街には、

いろんな人が住んでいた。

 

裸足に真っ裸で

元気に走り回る3歳くらいの男の子

 

真っ黒ですらっとした体で

ワンピースを着て内股で歩く

リトルゲイの男の子。

 

炎天下の中

上半身裸でトラックの荷台に

のんびり寝てるおじさん。

 

爆音の音楽を鳴らしながら

壁がない家でお酒を飲む

大人たち。

 

一生懸命バナナをうるおばちゃん

道の上でビリヤードをする

子供達…

 

ハエがたかるゴミ山で

しゃがみこんでものを漁る

小さな2人の女の子。

。。。姉妹だろうか?

 

 

「こんな世界が、あるのか。」

 

 

自分たちの生活とは

”当たり前”も常識も文化も生活も

見えてる世界も全く違う。

 

日本の生活に慣れすぎて

ここでの生活が正直

かわいそうに見えてしまった。

 

 

「こ、こんな生活を

してる人たちがいるのか」

 

「日本って恵まれてる」

 

「ボロボロの家でかわいそう」

 

 

と思っていたが、

かわいそうなのは自分の方だった。

 

 

彼らは、

心がとても豊かだった。

 

 

私たちが歩くと

キラキラの笑顔で

手を振ってくれる。

 

まるでパレードのよう。

 

 

 

バスの運転手も、

バナナを売ってるおばちゃんも

真っ裸の子供も、

 

 

みんな、みんな。

 

 

自分たちの住居地帯に

見知らぬ外国人が、

自分よりもいい服装で

カメラを持ちながら

 

入ってきても

みんな、歓迎してくれる。

 

 

 

「この人たちが携帯を盗むわけがない」

「この人たちが財布を盗むなんて」

 

 

勝手に、「スラム街」というだけで

そこの地域は危なくて、

そこに住む人たちは

自分たちのものがないから盗む?

 

お金が欲しいから

盗んで売る?

 

そんな勝手なイメージで

こんなに温かい人たちを

会う前から非難し疑い

悪く思っていたのか。

 

 

そもそも、

「物の所有」という恵まれた

日本の価値観に当てはめすぎてないか?

 

 

彼らは、

「自分の仲間と家族があれば十分」

と言わんばかりに、周りの人との

時間をめいいっぱいに大切にし、

 

どこの誰だかわからない

外国人を笑顔で受け入れる。

 

 

私はその日を忘れんと、

終始携帯で撮影していたが

盗まれることもなかった。

 

 

それどころか、「一緒にのもーぜ!」

と笑顔で手招きしてくれたり

 

「一緒に写真とろーぜ!」と

笑顔できゃっきゃ駆け寄ってくる

子供達がいた。

 

 

 

心は、豊かなんだ。

 

 

 

物の所有を判断に

勝手に彼らのことを「かわいそう」

と決めつけた自分が惨めだった。

 

 

やはり、旅に出ると何度も思う。

 

 

「自分の目で確かめることが大切」

「実体験して感じたことが全てだな」

 

 

って。

 

 

そんなことを考えながら、

帰りにタクシーで帰っていた時。。。

 

 

ちょうど赤信号で

大通りのど真ん中、

タクシーは止まっていた。

すると、

 

 

 

コンッコン。

コンコン。コンコンコンコン…

 

 

 

 

窓を叩く音。

横を見ると窓の外に人影が。

 

 

よく見ると

子供を抱いた母親が立っていた。

 

「あれ、ここ、道のど真ん中だよね?」

 

心の中がドキドキドキッ。

 

 

 

よく目を凝らしてみると、

白いボロボロの薄い布に

ガリガリの骨のような体。

 

折れそうな腕の中には

今にも力つきそうな

見たこともないくらい

小さな赤ちゃんが。

 

 

「うわぁ。」

正直、一番に思い浮かんだ言葉は

 

「コワイ…」

 

 

何も言葉が出せず、驚いていると

窓の外で、お母さんは手を差し伸べてくる。

 

 

 

どうやら、

物乞いだ。

 

お金を求めているんだ。

 

 

 

 

冷静な判断ができなかった。

今すぐにでもこの人たちに

何かをあげなきゃ死んじゃいそう。

 

しかもここは大通りのど真ん中。

 

 

「お金を持ってる自分が、自分が

あげないで誰がこの人を救うの?」

 

 

とっさに、窓を開けようとした途端

「NO!!!!!!!!!!!」

大きな叫び声が。

 

タクシーの運転手だ。

 

ドキッドキドキドキ…

「はぁ、、、」

 

気がつくと

タクシーは青信号で発車していた。

 

 

 

開けていたら、

何が起きていたのかわからない。

 

少なくとも、

お金を渡していれば

次の日のお昼くらいまでは

栄養のあるものが食べられてたかな?

 

持っていた水さえ

渡してあげれば赤ちゃんは

もう少し元気になったかな。。。?

 

 

そんな風に

後悔の念がグルグル。

 

 

 

 

「なぜ、彼女は猛暑の外にいて

自分は涼しいタクシーの中にいる?」

 

「なぜ、彼女は服を着てなくて

自分は靴まで履いているんだ?」

 

「なぜ、彼女は家すらないのに

自分は留学までしてる?」

 

「なぜ、彼女は食べるものもないのに

自分は美味しいレストランで食べる?」

 

 

 

・・・

 

 

 

 

「何が違うんだろう」

「あの人は何も悪い事をしていないのに」

「逆の立場でもおかしくなかったはず」

 

 

 

 

 

こんな風に、

理不尽さを感じた。

 

 

 

自分は恵まれている側なのに。

 

日本はとんでもなく恵まれている。

 

 

屋根と壁がある家に住んでいる。

学校という学びの場が用意されている。

誰でも本屋へ行って本を買える。

いつでもスマホで情報を手に入れられる。

 

毎日当たり前にご飯があって

ふかふかのお布団があって、、、

 

 

そんな生活の中で、

何が不自由というのだ?

 

 

 

ほとんどのことが、”自分”の努力次第で

やりたいことが叶えられる環境にいる。

 

 

「やりたいならやれよ」

「叶えたいなら叶えろよ」

「言い訳するな」

「自分の人生だろ」

 

 

これはその時、

強く強く、自分の心に言い聞かせた言葉だ。

 

 

 

これが私の原点。

 

 

 

この出来事と出会いは、

私の人生にいつも勇気を与えてくれる。

 

 

 

「苦しい、辛い」とか

「自分かわいそう」って

被害者意識が芽生えた時、

 

 

いつもこの光景を思い出して

「何甘えているんだ」

 

 

と自分を律することができる。

 

 

 

 

今、あのお母さんと赤ちゃんは

どうしているのだろうか?

 

。。。生きていたらいいな。

 

 

 

そしていつか、

自分の手で自分よりも

どうしようもなく困っている人を

助けたいと思っている。

 

 

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📍colon street , cebu , Philippines

 

 

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